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竹久夢二 |
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◆「宵待草」作者、美人画家〔竹久夢二〕の実像。 |
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〔竹久夢二のプロフィール〕
竹久夢二は 明治17年に現岡山県瀬戸内市の邑久町に生まれた。16歳までこの地で過ごす。 母、姉に愛され、自然豊かな古里が後の夢二の絵に影響を与えたことをこの地を訪ね知った。夢二の生家は酒屋というが訪ねてみると平屋の普通の屋敷である。夢二16歳の頃酒屋を廃業、父は創業ま近い八幡製鉄に職を得、一家は福岡県八幡に移り住む。 しかし夢二は17歳で家出、苦学して東京の早稲田実業に入学、この頃から雑誌や新聞にスケッチ、風刺画、コマ絵等を投稿、明治38年22歳「筒井筒」が中学世界に1等入選、夢二を名乗りデビュー、早稲田実業も中退する。 |
24歳で岸たまきと結婚、たまきをモデルに「夢二式美人画」が生まれる。たまきとは3児をもうけるが離婚、同棲を繰り返す。 〔宵街草の曲が大ヒット〕 大正7年夢二が作詩した『宵待ち草』をセノオ楽譜から発刊、多忠亮の作曲で大ヒットとなる。 その後彦乃、お葉を得て、多くの夢二式美人画を描く。また本の装丁、デザイン、絵画、画集、詩文、絵葉書、童話等多方面に才能を開花する。41歳の時東京荏原に自ら設計したアトリエ住居「少年山荘」を完成させて住む。 47歳、榛名山美術研究所を構想し、昭和6年から8年にかけ米国、欧州諸国をまわり展覧会を開催、スケッチ画を多く残す。帰国後旅の疲れからか結核を患い翌昭和9年9月50歳で逝去する。 |