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竹久夢二

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プロフィールバー ◆「宵待草」作者、美人画家〔竹久夢二〕の実像。
俗称・筆名 竹久 夢二
本名 竹久 茂次郎
生誕 明治17年9月16日
死没 1934年9月1日
出身地 岡山県瀬戸内市邑久町
最終学歴 早稲田実業学校中退
職業 画家、詩人、グラフィックデザイナー
ジャンル 画家、詩人
活動・略歴  コマ絵、挿絵、画家、詩人、木版画、童話作家、装丁画等幅広いアート活動を展開、榛名山美術研究所を構想、昭和6-8年アメリカ、欧州各国を廻り個展開催、スケッチを多く残す。帰国後結核で病没
代表作 作詞:「宵待草」
絵画:「立田姫」「黒船家」

 〔竹久夢二のプロフィール〕

 竹久夢二は 明治17年に現岡山県瀬戸内市の邑久町に生まれた。16歳までこの地で過ごす。

 母、姉に愛され、自然豊かな古里が後の夢二の絵に影響を与えたことをこの地を訪ね知った。夢二の生家は酒屋というが訪ねてみると平屋の普通の屋敷である。夢二16歳の頃酒屋を廃業、父は創業ま近い八幡製鉄に職を得、一家は福岡県八幡に移り住む。

 しかし夢二は17歳で家出、苦学して東京の早稲田実業に入学、この頃から雑誌や新聞にスケッチ、風刺画、コマ絵等を投稿、明治38年22歳「筒井筒」が中学世界に1等入選、夢二を名乗りデビュー、早稲田実業も中退する。

 24歳で岸たまきと結婚、たまきをモデルに「夢二式美人画」が生まれる。たまきとは3児をもうけるが離婚、同棲を繰り返す。

 〔宵街草の曲が大ヒット〕
 大正7年夢二が作詩した『宵待ち草』をセノオ楽譜から発刊、多忠亮の作曲で大ヒットとなる。

 その後彦乃、お葉を得て、多くの夢二式美人画を描く。また本の装丁、デザイン、絵画、画集、詩文、絵葉書、童話等多方面に才能を開花する。41歳の時東京荏原に自ら設計したアトリエ住居「少年山荘」を完成させて住む。

 47歳、榛名山美術研究所を構想し、昭和6年から8年にかけ米国、欧州諸国をまわり展覧会を開催、スケッチ画を多く残す。帰国後旅の疲れからか結核を患い翌昭和9年9月50歳で逝去する。

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竹久夢二の写真
(出典:Wikipedia)
 
記念館タイトル表示 夢二郷土美術館訪問記など紹介。
〔竹久夢二の記念館は8つある〕

 夢二の絵は今でも通用する新しさ、優しさ、乙女心をくすぐる何かがある。夢二の記念館は私が知っているだけでも9つある。即ち岡山市、瀬戸内市の夢二生家と少年山荘、伊香保温泉、酒田市、東京都文京区、栃木県日光、金沢市にそれぞれの記念館である。

 これほど多くの記念館をもつ人はいない。それだけ人気があり、また各地で活躍した証拠であろう。今回はこの竹久夢二記念館の内、岡山市、瀬戸内市、伊香保温泉の記念館を紹介しよう。

〔夢二郷土美術館〕 所在地:〒703-8256 岡山市中区浜2丁目1-32 TEL:086-271-1000

 この記念館を作るとき「郷土という文字はない方がいい」という意見に対し、この開館に尽力した松田初代館長は茲しかない『郷土』を入れる事を主張されたという。竹久夢二の場合多くの記念館があるので正解だったと思う。 岡山市中心の後楽園の脇にある夢二郷土美術館本館は夢二らしい洋風の建物だ。玄関を入り奥に進むと広い展示室に作品が並び中央にケースがあり夢二が制作した本の装幀や絵本などが並んでいる。


〔夢二の作品は多方面に及ぶ〕

 夢二は本の表紙、背表紙、裏表紙まで本の装幀全てに係わり、いずれも手の混んだものだ。恐らくお客さんの要望に自分の感性をあわせて、素材やデザインに拘わったものと想像される。木下杢太郎記念館を訪ねた際、杢太郎著作の装丁も夢二作、また内村鑑三の「骸骨の歌」という詩の挿絵も夢二だ。明治から大正にかけて今で言う売れっ子のグラフィックデザイナーであった事が伺える。

 夢二はコマ絵から、挿絵、版画、水彩画、油絵、屏風絵など何でもこなせる才能があり、その絵に俳句、和歌、詩、讃などが添えられている作品が多い。美術館の周りの壁には4枚の屏風絵、代表作品の『立田姫』が展示されている。夢二の場合、男を描いた作品は少なく、男が描かれた場合ほとんどは夢二自身だという。


〔夢二作品を販売〕

 記念館の入り口近くで夢二の作品が販売されている。美人画、絵葉書、一筆箋などその数は多い。私自身夢二の一筆箋は昔から愛用しているので今回は雛をデザインしたものを記念に購入した。
夢路郷土美術館本館の写真
夢路郷土美術館 本館

記念館入場券より代表作立田姫の写真
記念館入場券より 代表作立田姫

記念館タイトル表示 竹久夢二の生家訪問記など紹介。
〔竹久夢二の生家〕 所在地:〒701-4214 岡山県瀬戸内市邑久町本庄 Tel0869-22-0622

 夢二の生家は岡山駅から車で約40分の瀬戸内市邑久町にある。近くには裸祭りで有名な西大寺がある、夢二は16才までこの地にいた。生家の門は葡萄棚に囲まれ実がたわわに実っている。庭には木舟が置かれている。夢二は子供の頃この舟で田園の川を漕ぎ瀬戸内海まで出て遊んだのかもしれない。生家の土間に入ると受付があり、受付の女性は親切でいろいろ話してくれた。

 昔の田舎家といった雰囲気の家で、部屋に上がるとDVDがあり、夢二の生涯がわかる。部屋の奥には夢二の部屋がある。慕っていた姉が嫁ぐ後姿をみて、夢二の本命茂次郎と姉松香の名を墨で柱に書いたと言う文字が残されているというが良くわからない。でも姉を送った窓から眺める景色は今でも田園風景だ。

 夢二の絵や童話、詩などには故郷の風景と姉、母への郷愁が根底にあるように思う。生家への道の正面奥には友人有島生馬の筆になる「竹久夢二ここに生まれる」の碑がある。


〔少年山荘〕 所在地:〒701-4214 岡山県瀬戸内市邑久町本庄 Tel0869-22-0622

 竹久夢二の「少年山荘」は大正13年40歳の時、アトリエ兼自宅として現東京都世田谷区松原に夢二自ら設計し建設された。昭和45年(1970年)夢二生誕95年を記念して、生家近くの公園内に移築され、夢二郷土美術館分館として公開されている。現在は樹木に囲まれ、中に入ると吹き抜けで開放感があり、アトリエのイメージを感ずる。廻りには夢二を囲む女性の写真や、若い夢二の写真も複数並ぶ。

 少年山荘近くの町の施設広場には宵街草の碑が立っている、“待てど暮らせど来ぬ人を 宵街草のやるせなさ 今宵は月も来ぬような”一世を風靡した宵待ち草は夢二の実体験の中から浮かび出た詩のように思える。

 夢二の宵町草は一番しかない。短すぎるので二番は友人の西条八十が付け足したという。碑の後には水田が広がり夢二がいた頃の風情がただよっている。


〔竹久夢二をめぐる女性たち〕

 夢二の絵にはロマンがある。美人画は夢二が愛した女性が登城する。夢二は姉・松香や母を慕い、また愛された。 目の大きな女性は最初の奥さんたまき、途中、離婚はしても一緒に住み2児を育て夢二の面倒をみて、死後も面倒を見たのはたまきさんだったと、生家受付の方からきいた。

 夢二がもっとも愛したと言われる彦乃と夢二は山(彦乃)河(夢二)という暗号でラブレターのやり取りをしたが、幸せは長く続かず彦乃は25歳で病没、また夢二のモデルとして有名なお葉さんは身体をS字にくねらせ、物悲しい憂いの目で人を見つめる。

 夢二が活躍した明治、大正、昭和の初頭は日本画が主流、その中で夢二の作品は人間味があり、ひとの心を癒す要素があるという。

竹久夢二の生家の写真
竹久夢二の生家(瀬戸内市)

竹久夢二の少年山荘の写真
世田谷より移築したアトリエ『少年山荘』

少年山荘近くの「宵待草」歌碑の写真
少年山荘近くの「宵待草」歌碑

記念館タイトル表示 ◆竹久夢二伊香保記念館訪問記など紹介。
〔竹久夢二伊香保記念館〕 所在地:群馬県渋川市伊香保町544-119 Tel0279-72-4788

 渋川から伊香保温泉入り口に向かうと右に竹久夢二の伊香保記念館がある。なぜ伊香保に夢二記念館があるのだろう?という疑問が前からあったので立ち寄ってみた。 真っ赤な紅葉のトンネルを潜ると3階だての洋装建築の玄関前に出る。入場券を求めると夢二記念館の他に保科美術館というガラス工芸品が陳列されている館もあるという。今回は夢二記念館のみを見る。

 記念館の建物内はひんやりとしているが、ヨーロッパ風の格式と気品を感じる。1階には夢二の絵が周りの壁に飾られ、教会風の木椅子が並び、そこに座るとオルゴールの原点といえる生演奏が聞ける。この演奏は30分に1度なのでまず夢二の絵をじっくりと見ることにする。夢二は岡山に生まれ、東京で絵を学び。伊勢物語の挿絵(展示されている)等で認められ、甘いタッチの美人画で1世を風靡した。


〔見知らぬ女性にも返事を書いた夢二〕

 1階には伊香保在住の若き女性が、偶然見かけた男性を夢二と思い手紙を出すが、実際は人違いでした、でも、夢二は親切にもその女性に返事を書いている。売れっ子画家なのに、見知らぬ女性に『人違いですが、お会いできることを楽しみにしています』と書き送る心配りに感心する。そしてこの事が後に伊香保を訪れるきっかけになったという直筆の手紙がこの記念館に展示されている。


〔金属盤のオルゴールが聴ける〕

 1〜2階は竹久夢二の世界だ、竹久夢二は伊勢物語等の日本古典文学の挿絵をいっぱい描いている。その挿絵は版画のようで細密に描かれている。43冊のスケッチブック、絵葉書、封筒、祝儀袋、掛け軸の絵、子供絵本などが幅広く展示されている。夢二は今でいうグラフィックデザイナーでもあるのだ。

 1階に戻り30分ごとに演奏される昔のオルゴールの演奏を聞く、50cmほどの穴の空いた金属板から流れる音色は 今のCDとは違った何ともいえぬ味わい深さがある。チョット時間に遅れたのでピアノの演奏が聞けなかったことを言ったら“じゃー弾いてあげますよ”と100年前のヨーロッパから輸入されたというピアノで夢二の「宵待草」を弾いてくれた、うす暗い室内にピアノを弾く林さんの姿がシルエットに写りだされた。


〔3階の喫茶室では挽きたてのコーヒーが味わえる〕

 3階の喫茶コーナーでは挽きたての美味しいコーヒーを入れてくれる。この部屋もアールヌーボー調で居心地がとても良い、階段には珍しい豆皿が沢山展示されている。 夢二というと甘い女性の絵を思い出すが彦乃、お葉さんの話をコーヒー担当の女性に聞くと、付き合った時代は違うという。彦乃さんは若くして無くなり、お葉さんは伊香保にも連れてきたことがあるというが本当か?

夢二伊香保記念館
夢二伊香保記念館

夢二2013年カレンダー「黒船家」の写真
夢二2013年カレンダー「黒船家」

竹久夢二伊香保記念館より赤城山を望む
竹久夢二伊香保記念館より赤城山を望む
 この喫茶コーナーで竹久夢二のカレンダーを売っている。かなり大判で夢二の絵にしゃれた俳句や歌、詩が添えられた中々のもの。昨年と今年のカレンダーを2部購入我が家で夢二の絵を楽しんでいる。伊香保を訪れる際には一度は寄ってみる価値がある。

 夢二作品の蒐集数は相当多く定期的に入れ替えている。建物も20世紀初頭のアールヌーボー風の趣のあるもので、気持ちがいい。この記念館も夢二を後援した医師や小暮ホテル等の支援があって出来たのだろう。
                    Y.AOKI記

伊香保夢二記念館の紅葉
伊香保夢二記念館の紅葉

〔竹久夢二の特徴〕

1.  今でも通用するモダンな絵を描く、明治時代は日本画が主流の中、西洋画でもない、独自の画風を確立している。

2.  原点に 女性、子供、自然への優しさ、愛を感じる。育った環境による。岡山の自然、母、姉、妻、恋人など女性が多い。夢二の絵に出てくる男性は夢二自身である。

3.  夢二は愛されファンが多い。記念館も多く、岡山、瀬戸内市、伊香保, 東京、酒田、金沢、鬼怒川 にあり、多さは芭蕉と双璧かもしれない、それだけ作品も多い

4.  多彩である、 コマ絵、挿絵、版画、水彩画、詩、俳句、和歌、川柳, 小説、本の装幀も60冊以上、楽譜の表紙デザイン、雑誌表紙デザインなど 師は無く自分で築いた。

5.  多くの人に愛され、助けられている。

6.  海外への興味をもっていた。昭和6年〜8年に足掛け3年アメリカ、欧州を旅行、海外での個展開催や日本画指導をしている。

〔竹久夢二の言葉〕

泣く時はよき母ありき
遊ぶ時はよき姉ありき
七つのころよ
       『中学世界』明治43年

〔辞世の歌〕

日にけ日にけかっこうの啼く音聞きにけり
かっこうの啼く音はおおかた哀し


記念館タイトル表示 ◆竹久夢二美術館訪問記。
〔東京にある竹久夢二の美術館〕

 東京にある竹久夢二美術館は東大工学部弥生門のすぐ前にある弥生美術館と一緒の建物に併設されている。地下鉄東大前駅、または根津駅からも徒歩7分と都心の便利な処にある。

 周辺は閑静な住宅地がひろがる。この地・弥生は弥生式土器の遺跡が発見され、弥生時代の発祥地である。この近くに《弥生式土器発掘ゆかりの地》という碑がある。 竹久夢二美術館は3階建ビルの2階にある。夢二の常設美術館は、3300点の収蔵作品を有しテーマを変え展示している。

東大工学部正門
東大工学部正門

 1 階、3階は弥生美術館で、他の作家作品を展示している。今回はNHKテレビドラマの《赤毛のアンの世界》展を開催していた。入り口に左には瀟洒な喫茶店がある。

 この夢二美術館と弥生美術館の創設者は弁護士だった鹿野琢見氏(1919〜2009)が開設した個人美術館である。入口の上には立派な母子像の彫刻があり、左の壁には白いレリーフがあり、ヨーロッパの美術館の雰囲気がある。

弥生式土器発掘ゆかりの碑
弥生式土器発掘ゆかりの碑
竹久夢二美術館の外観
竹久夢二美術館の外観
夢二美術館の入口
夢二美術館の入口

〔欧州旅行中に描いた少女の作品2点を展示〕

 竹久夢二が1932年から33年にかけヨーロッパを旅行した際に描いた作品2点が発見され、大新聞各紙にも報道され、最近、竹久夢二記念館で初公開された。

 1枚は《 S子スケッチ 》(縦41cm、横29cm)という作品、ベルリンの駐在員の娘さんの上半身を描いている、帽子と唇に淡い彩色がなされている。1933年7月少女は当時9才で夢二は《嬢ちゃん》と呼んでいたという。
初公開の夢二作品:S子スケッチ
初公開の夢二作品:S子スケッチ

 夢二はお世話になった駐在員の方にお礼のつもりで描いてあげ、日本に引き上げ後も駐在員のお嬢さんがずーと所蔵し最近亡くなり、遺族が夢二美術館に寄贈を申しでて、この作品の存在が明らかになり、今回一般公開となったもの。

 もう1枚は《欧州の少女》と仮タイトルがついた作品で、少女は手にバイブルを持ち背後には教会が見え、アルプスのような山が見える。書かれた1932年のドイツはナチスの台頭著しく、少女の顔にも怯えたような表情が見える。絵は水彩・パステル画である。
初公開の夢二作品:欧州の少女
初公開の夢二作品:欧州の少女

〔夢二が訪問したヨーロッパの都市は?〕

 米国・ロスアンジェルスより1932年10月にハンブルグに上陸、ベルリン、プラハ、ウイーン、 11月にはインスブルグ、パリ、リヨン、ジュネーブ、12月はスイス・ローザンヌ、チューリッヒ、ザルツブルグ、ウイーン 1933年 ベルリンに戻り2月にイッテン・ミューレで日本画を教える。

 6月には日本人会で展覧会を開催している。7月に《S子スケッチ》を描いているが、夢二の日記、手紙、資料などに一切記録は無く、モデルの少女が大切に保管していたという。 竹下夢二はその後エッセン、ハンブルグ、ミュンヘン、ローマ、経由でナポリから神戸に帰る。今の時代でも人気のあるヨーロッパ各都市をじっくり巡っている。

 竹久夢二の欧米の旅は2年4か月に及び1933年年9月18日に日本に帰る。当時は船で帰るにも1ヶ月を要している、今だと1日の旅程だが、それだけ海外に出るのは大変な時代だった。2年4か月の旅行は竹久夢二の体を蝕んだのだろうか、帰国後1年後の9月、50才で亡くなっている。

 ・銭ほしや他国にいても年の暮 (1932年の俳句)

 ・あこがれた欧州へ上陸しました、故郷へ帰った思いです。(1932年10月の手紙)

 ・ドイツは今ヒットラーの獅子奮迅的強行政治で街はひっくり返る騒ぎです。(1933年3月の手紙)

美術館入場券
美術館入場券

〔竹下夢二生誕130年 ,夢二美人画の魅力を紹介! 〕

《夢二美人画》作品を見せながら、夢二美術館ではその魅力を解説しているので列記してみよう。(作品の出典:2012年伊香保記念館カレンダーより)

1.大きな眼の美女が誕生。 夢二の描く女性はみな目が大きい。

2.和の装い、着こなし。 世の女性が真似をしたという 大柄な模様、胸高の帯、リボン、ほっそりとした体、身近な動植物。これが夢二スタイルになっている。

大きな目の美女
大きな目の美女
和の装い、きこなし
和の装い、きこなし

3. 洋の装い。 着物の裾の乱れを気にし、関東大震災で逃げ遅れた女性が多かった。それ故に震災以降、洋装が増え、短髪のヘアースタイル、帽子も多くなったという。

4. 女のしぐさ。  泣く、持たれる、三味線を弾く、化粧をする、夢二の絵に多く見られる。
洋の装い
洋の装い
女のしぐさ、ギターを弾く
女のしぐさ、ギターを弾く

 竹久夢二は日本の美女も、異国の美女も描き、これで 《私も夢二美人》といわれる形がある。もっと長生きしていたら欧米の見聞が活きた作品が多く生まれただろうに、と残念に思う。

 竹久夢二美術館の所在地  住所:東京都文京区弥生2-4-2
                   TEL:03-5689-0462
                   yayoi-yumeji-museum.jp

                                         記:Y.青木
私の好きな夢二のひとつ
私の好きな夢二のひとつ

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