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〔偉人〕

平櫛田中(ひらくし/ひらぐし でんちゅう)

 
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平櫛田中 菱川師宣

プロフィールバー 〔平櫛田中〕のプロフィール
俗称・筆名 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)
本名 平櫛倬太郎
生誕 1872年6月1日(明治5年)
死没 1979年12月30日(昭和54年)
出身地 岡山県後月郡(現在の伊原市西江原町)
最終学齢 精研高等小学校
職業 彫刻家
ジャンル 彫刻
活動
代表作 『鏡獅子』(国立劇場)
『烏有先生』
『転生』
『五浦釣人』など。
記念館
言葉・信条

人生履歴 〔平櫛田中〕の人生(履歴・活動)

 平櫛田中は明治5年岡山県井原市の田中家に生まれる。明治15年福山市平櫛家の養子になる、明治26年に大阪の人形師仲谷省古に弟子入りし木彫の手ほどきを受ける。明治31年高村光雲を訪ね観音像の批評を請う。


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平櫛田中の写真
(出典:田中美術館)

人生履歴 〔平櫛田中〕の人生(履歴・活動)(続き)

 湯島、谷中などに住み明治33年にはパリ万国博に樵夫読書を出展する。明治37年日本美術協会第5回美術展を出品し1等賞金賞を受賞する。

 その後多くの賞を受賞。明治40年秋野花代と結婚、明治41年「活人箭」で岡倉天心の推奨を受ける。その後岡倉天心や禅僧西山禾山の教えを受け、精神性を重視した作品を発表する。

 大正3年再興日本美術院同人となる。昭和19年東京美術学校教授となる。昭和24年東京芸術大学教授、昭和33年 20年の歳月をかけた「鏡獅子」を完成、昭和37年文化勲章を受賞。昭和46年百寿を記念し「平櫛田中賞」を設定する。昭和47年小平市名誉市民に推戴される、昭和54年小平市の自宅で逝去。満107歳。



生誕140周年記念平櫛田中の紹介本

平櫛田中 略歴
(明治5年)

岡山県井原市の田中家にて生誕

(明治15年)

福山市平櫛家の養子となる

(明治26年)

大阪の人形師仲谷省古に弟子入り木彫り修行

(明治31年)

高村光雲を訪ね観音像の批評を請う

(明治33年)

パリ万国博に樵夫読書を出展する

(明治41年)

日本彫刻会展で「活人箭」を出展、岡倉天心の推奨受ける

(大正3年)

再興日本美術院同人となる

(昭和24年)

東京芸術大教授

(昭和33年)

鏡獅子完成

(昭和37年)

文化勲章受賞

(昭和46年)

百寿記念に平櫛田中賞を設定する

(昭和54年)

満107歳で死去


ゆかりの地 〔平櫛田中〕ゆかりの地など
 〔小平市平櫛田中彫刻美術館〕

 ☆住所地 東京都小平市 〒187-0045 東京都小平市学園西町1-7-5 Tel&Fax 042-341-0098

 東京都小平市の平櫛田中記念館への訪問は2012年の生誕140週年記念展から2度目だ。今回は妻と車でゆく、受付で駐車場を聞くと近くは満車、 やや遠い「いろりの里」という大きな料亭の駐車場を紹介される。

 ここから玉川上水のほとりを暫く歩く、川の両側には桜やいろんな植物が生え散歩、ランニングの人を見かける。太宰治が入水自殺をはかったことで有名な川だが、川は深いが水量は多くないから今は難しい。昔は水量が多かったのだろう。記念館はこの川から一寸入った静かな住宅街の中にある。

平櫛田中の写真
(玉川上水の散歩道)

平櫛美術館入口
(平櫛美術館入口)
 〔自分のiPadで作品解説が聴ける〕

 受付で300円入場料を払うと、映像室に案内される。ここで平櫛田中の生涯と作品紹介を、約1時間で見られ平櫛田中の略歴と生き様が理解できる。この記念館は平櫛田中の晩年、92歳から過ごした家で、現在遺族から寄贈された作品を小平市が記念館として作品を展示、紹介をしている。

 iPadを持っていたので平櫛田中をインター ネットで呼び出し作品解説を聞いた。イヤフォーンは無料で借りられ、主要作品の解説が聞ける。まだ試験的に実施しているようだが進んだシステムだ。



 〔107歳まで生きた最高齢芸術家 平櫛田中〕


 明治5年生まれの平櫛田中は満107歳まで生きた。広辞苑に掲載されている人物中で最高齢著名人だという。

 "60,70ははなたれ小僧、おとこさかりは百から百から"

は有名な言葉で、平櫛田中は書も上手く力強い字で不老の書額がかかっている。還暦を超えた人にとっては元気の出る言葉だ。

107歳まで生きた最高齢芸術家 平櫛田中
(60,70は洟垂れ小僧------の書)


 〔130歳までの材料を保管していた〕


 美術館に隣接する記念館の庭には直径2m以上もある大木がある。

 これは彫刻の素材で100歳の時600万円出し直径2mのくすの木を3本買い込み130歳まで仕事を続ける予定だった。この大きな木で“横山大観と竹原はん”の像を造る予定だったといわれる。

130歳までの材料を保管していた
(彫刻材料の大木 20年分以上保管)

 〔平櫛田中と言う名の言われは!〕

 平櫛田中は岡山県伊原市の田中家に生まれ10歳で平櫛家の養子となる。実家の田中と養家の平櫛、両方の姓を用い"平櫛田中"としたというから、チョト珍しい名前だ。平櫛田中は大阪の人形師中谷省古に手ほどきを受け、26歳の時上京し高村光雲の指導を受けたが、ほとんど独学で彫刻家への道を歩んでいる。

 〔岡倉天心に私淑した日本彫刻界の先駆者・平櫛田中〕  平櫛田中に影響を与えた師は岡倉天心と西山禾山だ。田中の活人箭は井原市の平櫛田中記念館の入口にある。弓矢をつがえ今まさに射んとする老人像だが迫力がある。岡倉天心がこの像を見て褒め入賞もしたが、"弓矢を持たない方が良い" とコメントしたという。素人目には弓矢がある方が迫力あると見えるが、弓矢が無く想像した方がより迫力があるという見方はさすがだ。 平櫛田中は後に" 弓矢の無い活人箭 "を造っている。

 平櫛田中は後に東京藝術大学の教授になるが構内にある岡倉天心像には毎朝必ず遥拝したと言われるほど私淑している。



岡倉天心に私淑した日本彫刻界の先駆者・平櫛田中
(活人箭 ひらくしでんちゅうの本より転載)

代表作 転生
(代表作 転生)
 〔代表作 "転生"は興味深い〕

 小平の記念館入口近くに等身大の転生像がある、よく見ると口から人間を吐き出している。「岡山の昔話」で生ぬるい人間を食べた鬼が余りのまずさに 吐き出した瞬間だという。この逸話も興味深いが平櫛田中の当時の心境だったという。このような中国や日本の逸話、法話を題材にした作品が多いが、解説を聞かないと解らないことも多い。平櫛田中は禅僧西山禾山の教えを仏教的素材に置きかえ表現したのかと想像できる。平櫛田中は仏像制作にあたり自然と拝みたくなるような精神性をたたえた像をつくるよう心がけている。


 〔平櫛田中の作品は日本の伝統と西洋の藝術がミックスされている〕

 平櫛田中は明治、大正、昭和に活躍した彫刻家だが、美術館の作品を見ると木の素材を活かした彫刻と 彩色された彫像も多く見られる。若い頃人形師のところで修行したことに起因するのか、日本の伝統的彫刻とヨーロッパの革新的技法を取り入れている。

気楽坊
(気楽坊 ひらくしでんちゅうの本より転載)


 〔22年間かけ完成した「鏡獅子」〕


 平櫛田中の代表作は『鏡獅子』で国立劇場に展示されている。この鏡獅子は戦争を挟み22年間の時間をかけた大作だ。実物は2mもある大きな彫刻だ、この像を作るに当たり歌舞伎に25日間通いつめ様々な角度から観察し、横山大観を始め多くの方の意見を聞きポーズを決めたという。

 またモデルとなった六代目尾上菊五郎は裸で弟子に稽古をつけていたので、菊五郎の協力をえて、裸の稽古像をつくった。豪華絢爛な歌舞伎衣装の内側にひそむ肉体の動きを把握した上で、鏡獅子の像はできていることを知り、その探究心に深く感動した。

 実物半分の試作像を作りつつ、完成までに22年も要した。完成時には菊五郎も亡くなっていたという。完成は昭和33年(1958年)、時価数十億といわれているこの作品は現在国立劇場に永久貸与されている。

鏡獅子 ひらくしでんちゅうの本より転載
(鏡獅子 ひらくしでんちゅうの本より転載)

 〔美術館に併設し平櫛田中記念館がある〕

 平櫛田中は98歳までは芸大に近い、湯島、谷中に住んでいたが、隠居所として最後の10年間この小平市に九十八叟院と称した住居をつくり過した。玉川上水のたたずまいが気にいったらしい。美術館入り口右側の和風建築が晩年の自宅で見学できる。この和室から眺める庭園は季節の花木が眺められ心が落着く、例の30年分の大木の彫刻材料が門の近くにあり、外の道路からも見える。平櫛田中が寝ていた床も敷いてあり、鴨居には田中の言葉を書いた額がかかっている。しばらく外の庭を眺め思索にふけった。そんな雰囲気のある建物だ。


 〔武蔵野うどんは美味しい〕

 今回は車で訪ねたが、電車だと西武多摩湖線「一橋学園前」から徒歩10分程度だ。駅近くに「武蔵野うどん」の店があり、安くて美味しかったので、わざわざ立ち寄ってみた。「武蔵野うどん」は地粉がこの地のもので独特のこしの強さと太さがあり、私は好きだ。この記念館を訪ねたら一度試食して欲しい。


 〔平櫛田中のエピソード〕

☆ 彫刻家で食べるのは大変な時代でした、エピソードに昭和天皇より文化勲章受賞の席で、「何が一番大変でしたか」と問われ、「おまんまを食べるのが大変でした」と答えたという。


 〔平櫛田中の有名な言葉〕

 ・60,70ははなたれ小僧、男盛りは百から百から(99歳、昭和45年)
 ・人間いたずらに他事、人生いたずらに年をとる。今やらねばいつできる。
  わしがやらねばたれがやる(98歳、昭和44年)

 ・悲しい時には泣くがよい、つらい時にも泣くがよい。涙流して耐えねばならぬ。
  不幸がやがて薬になる。

 ・守拙求真(しゅせつきゅうしん) よく書でかいた
  小細工を弄せず、愚直を守ってこそ本質が求められる。

平櫛田中記念館 外観
(平櫛田中記念館 外観)


武蔵野うどんの入り口
(武蔵野うどんの入り口)

 〔岡山市から車、電車でも約1時間〕

 ☆所在地 :〒岡山県伊原市井原町315 TEL 0866-62-8787 FAX 0866-62-9567

 平櫛田中は 岡山県伊原市出身と聞くがどのあたりだろう? 岡山駅でレンタカーを借りナビを入れ確認する。高速道路を使えば岡山から車で1時間程度だ。電車でも1時間以内だが、乗り換えもあり大変そうだ。 田中記念館は街の中心にある市役所と併設され1階から3階を使用しかなり広いスペースだ。美術館の入り口には代表作『黄金の五浦釣人』の像が燦然と輝き目を引きつける。

井原市役所に隣接する平櫛田中美術館
(井原市役所に隣接する平櫛田中美術館)

 〔田中美術館は3階建て、市役所に隣接している〕

 1階に入ると受付があり、平櫛田中の代表作“活人箭”が展示され、その奥1階会場には平櫛田中賞の25回受賞作が展示されていた。どの作品も斬新で見ていて飽きない、この賞は昭和46年に百寿を迎えた平櫛田中が木彫振興のため浄財を寄付し創設され2年毎に受賞作を選考している。

 2階は田中の代表作が展示されている、特に歌舞伎役者尾上菊五郎の『鏡獅子の塑像』が並ぶ この像は2mの高さがあり本物は東京の国立劇場にある。試作像はこの井原美術館にあり裸像の石膏像は小平の美術館にある。試作とはいえ本物と変わらず力強く、衣装は金色が多く使われ、まさに絢爛豪華という言葉がぴったりだ。

 3階は平櫛田中の作品展示と東京上野、桜木町のアトリエを再現し、当時の面影を偲ばせている。

 東京のアトリエは戦災により多くの貴重な作品を消失したという。田中美術館では随時特別展を開催している。

製作中の平櫛田中(82歳頃)、美術館HPより転載
(製作中の平櫛田中(82歳頃)、美術館HPより転載)
入場券表紙の鏡獅子
(入場券表紙の鏡獅子)


 〔田中こぼれ話〕

 井原市の田中美術館のホームページに「田中こぼれ話」というサイトがあり、いろいろなこぼれ話を紹介している。平櫛田中は107歳まで生き、最高齢芸術家としてギネスブックに乗るほどの長命だが、長男、長女は若く結核で亡くしている、生活も苦しい中、大変な辛酸を味わっている。「人間ざかりは百五歳より」という本を昭和45年に発刊し、この辺の苦労話が書かれている。

 〔旧平櫛田中邸・アトリエ〕

 旧平櫛田中邸は現在台東区上野桜木にあり、井原市に寄贈されているが、NPO法人たいとう歴史研究会により掃除、修繕と公開活動を折々行っている。この建物は大正8年横山大観、下村観山、木村武山等、日本美術院の画家らにより建てられたもの。

青木青眠 記
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