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菱川師宣

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平櫛田中 菱川師宣

プロフィールバー 〔菱川師宣〕のプロフィール。
俗称・筆名 菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ)
本名 菱川 吉兵衛(ひしかわ きちべえ)
生誕 1630年(寛永7年)
死没 1694年(元禄7年)6月4日
出身地 千葉県鋸南町保田
最終学歴 江戸神田に出て縫箔師となり、大和絵を習得する
職業 浮世絵師
ジャンル 美術家
代表作 見返り美人図

菱川師宣見返り美人図
(菱川師宣見返り美人図)

 師宣は江戸の初期1630年に現在の千葉県安房郡鋸南町に生まれる。父親菱川吉左衛門は布地に金銀箔を施したり、刺繍したりする縫箔師でした。

 記念館のメイン会場の真中に展示されている《釈迦涅槃図》は繊細な布絵で西洋のタペストリーに似ていて、かなりの高等技術と芸術性が要求される。父親は京都の生まれでこの地に流れてきたという言い伝えもある。

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菱川師宣の肖像・写真
(菱川師宣自画像)
 
活動・略歴 1630年(寛永7年) 千葉県鋸南町に生まれる。16歳の頃江戸に出て縫箔師となる。
1656年 鋸南町松翁院の釈迦涅槃図を父と制作。この下絵は師宣の作と言われている、3年後に完成。
1662年 父吉左衛門(縫箔師)死去
1667年(寛文7年) 江戸の版下絵師として活躍
1672年 挿絵版に吉兵衛の署名現わる、武家百人一首等
1678年 師宣の雅号使用始める 古今役者物語、伊勢物語等
1682年 江戸の大火により師宣の版木多くを焼失
1683年 江戸・人形町に住み多くの作品を生む
1687年 長男師房 浮世絵として登場
1693年 代表作「見返り美人図」制作 号を友竹と名乗る
1694年〈元禄7年〉 江戸特寿院にて葬儀
1703年 元禄大地震で鋸南町の菩提寺も海に没する。

記念館タイトル表示 菱川師宣記念館の紹介。

 〔菱川師宣プロフィール〕

 師宣は江戸の初期1630年に現在の千葉県安房郡鋸南町に生まれる。父親菱川吉左衛門は布地に金銀箔を施したり、刺繍したりする縫箔師でした。記念館のメイン会場の真中に展示されている《釈迦涅槃図》は繊細な布絵で西洋のタペストリーに似ていて、かなりの高等技術と芸術性が要求される。父親は京都の生まれでこの地に流れてきたという言い伝えもある。

 師宣は小さい頃から父親の仕事を見て、絵という芸術心が養われ、狩野派や土佐派等の緒流を独学で学び、後に江戸に出てからは、版元の版下絵師として活躍、元禄時代には人気作家となる。菱川師宣記念館の入り口には見返り美人像がある。師宣の代表作である“見返り美人”は何度も切手図案に採用されているので、一度は見たことのある作品だ。

菱川師宣記念館
(菱川師宣記念館)

見返り美人像
(見返り美人像)
 〔浮世絵師・菱川師宣の古里〕

 菱川師宣が浮世絵の創始者であることを、この菱川師宣記念館を訪ねて知った。鋸南町は館山、千倉、鴨川ヘの入り口に当たる。江戸時代から船運が開け江戸の街は近かった、アクアラインが開通される前までは久里浜―金谷の航路がよく利用されていた。

 鋸南町には鋸山があり、大仏や石仏群があり頂上の見晴らしは最高で房総の観光地となっている。また《ばんや》という海の幸を安く食べさせる《海の道》のような町営レストランがあり賑わっている。

 この《ばんや》のすぐ先に菱川師宣記念館がある。菱川師宣記念館入り口には見返り美人像がたち、その隣に菱川師宣が寄進した大きな鐘楼があり梵鐘銘には先祖の名前が記銘されている。この町は水仙の街でもあり、春先には水仙ロードという散歩道が山の方に伸び、水仙を見ながら多くの人がウオーキングを楽しんでいる。

 〔立派な市営の記念館〕


 菱川師宣美術館は市営の余裕ある平屋造りだ。入場すると《大江戸の曙を描いた男》のPRビデオを見る。菱川師宣は江戸時代の初め1630年に生まれる。記念館の中央に飾られている立派な釈迦涅槃図は父菱川吉左衛門作だが、この下絵は師宣が描いたと言われている。記念館のメイン会場には菱川師宣の作品や資料が展示されている。別室もあり特別展を常に開催している。今回は明治浮世絵の特別展を開催していた。


父親の作品 釈迦涅槃図
(父親の作品 釈迦涅槃図)

 〔菱川師宣は浮世絵の創設者〕


 菱川師宣の経歴は明確なものはないが、版元の序文には幾つか紹介されている。大和武者絵 序文にはこのように紹介されている。

 《ここに房州の海辺、菱川氏という絵師、船のたよりをもとめて、むさしのご城下にちっきょして自然と絵をすきて 青柿のへたより心をよせ和国絵の風いて自ら工夫して後、この道一流をじゅくして 浮世絵師の名をとれり》

 代表作見返り美人図には房陽菱川友竹筆と署名が書かれているように房陽(房州)には誇りをもっており、晩年には菩提寺に梵鐘を寄贈している。
菱川師宣が寄贈した梵鐘
(菱川師宣が寄贈した梵鐘)

 〔今で言えば超人気漫画家・菱川師宣〕

 16歳で江戸に出た菱川師宣は絵の才能が花開き版画絵師にとどまらず、版画に文章をそえた御伽草子、武家百人一首、伊勢物語、古典和歌集等を手がけ、庶民の心を捉え人気を博した。今の人気漫画家のような存在になった。

 その後、絵が文章の添え物だった読本の発想を180度転換し“絵を中心とした絵本”を発刊し、江戸庶民の心を捉え師宣の名声は高まった。更に挿絵を独立させた観賞用絵画としての一枚刷り版画を手がける。それまでの絵画文化は一部特権階級の占有する高価な肉筆画でしたが、安くて大量に庶民が楽しめる浮世絵が出現したわけです。

 《義士47図》という絵を見ると大石蔵之助が 師宣の美人画をかけ見ている光景が描かれている。このように一般的な武家や商家にも浮世絵の美人画が普及していたのだろう。

畸人百人一首
(畸人百人一首)

浮世絵の解説書
(浮世絵の解説書)
 〔世界の絵画に影響を与え、
   愛された浮世絵〕


 最近、東京大江戸博物館で大浮世絵展が開催された。この展覧会は日本から世界に流出した浮世絵を一同に集め開催されている。

 所蔵先をみるとベルリン、英国、シカゴ、ホノルル、フランスギメ等の美術館より借用作品も多い。浮世絵は日本だけでなく欧州、米国、中国、アジアでも愛されている。有名なのは欧州の印象派画家やゴッホに大きな影響を与え、19世紀中ごろにはジャポニズムの流行現象が欧米にはじまり、今ではアジア・中国にも波及している。

浮世絵の解説書
(浮世絵の解説書)

 〔浮世絵の魅力〕

 大浮世絵展では443点の作品が年代順に展示されている。浮世絵の開祖は菱川師宣で《人が生きている浮世の流行や風俗を描いた絵》で始まり、鈴木春信の美人画、黄金期の役者絵では東洲斎写楽や歌川派の面々、浮世絵風風景画では安藤広重、葛飾北斎、源氏物語に代表される古典ものや武者絵など、浮世絵のジャンルはまことに広い。菱川師宣の「歌舞伎図屏風」などは伝統的画風の上に臨場感たっぷりの歌舞伎座の雰囲気を詳細に伝え、その装束、語らい、踊りなど、江戸文化の質の高さを感じる。

 浮世絵による古典物や和漢の英雄画や説話画は江戸期の寺子屋で用いられ、明治初年のデータでは寺子屋数は1128を数え世界でもトップクラスの識字率は有していた。

 浮世絵のジャンルには春画もあり、大人の笑い絵はこれまた世界に誇れる日本の美でもある。

源氏大和絵鑑
(源氏大和絵鑑)

 〔墨田区では北斎美術館を建築予定〕

 葛飾北斎の生まれ育った墨田区では東京オリンピックまでに葛飾北斎を紹介する記念館を建設することを発表した。その理念は《北斎顕彰を通じ地域への愛着を深め、観光、産業を活性化しよう》というものです。

葛飾北斎記念館構想図
(葛飾北斎記念館構想図)
美人絵づくし
(美人絵づくし)

 〔浮世絵における師宣の功績〕


 狩野派や土佐派の保守的な絵や墨絵でなく、浮世=庶民の絵を創設した。

 絵の対象は肖像画から役者絵、美人画、旅行記、古典文学の紹介絵など幅広く、庶民に独自の文化、教養、美的センスを与えた。

 手書きの肖像画から始まり、古典文学や旅行案内を大量出版が可能な木版印刷物を制作し、書画を庶民に普及させた功績は大きい。

 ファショナブルな美人画、役者絵はブロマイド代わりであり、当時の流行を伝えるファッション誌であった

 浮世絵は日本人が生んだ美術品であり、欧州の印象派画家に多大な影響を与え、世界に日本文化の洗練さ、質の高さを示した。

Y.青木 記   


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