〔《太平洋の奇跡》という映画を見た〕
1911年公開された映画で副題は《フォックスと呼ばれた男》である。テレビの再放送作品でしたが、見ているうちに惹きつけられていった。その理由はサイパンを訪れ、タッポーチョー山頂に登り、日米の攻防戦の現場に立ち、掲示写真を見、さらにバンザイ岬の青く澄んだ海、洞窟で自害した軍責任者の現場を見ていたからである。
フォックスと呼ばれた男(大場大尉)》はサイパンが陥落後も、残された軍人や民間人を指揮し、米軍を翻弄し15カ月後の昭和20年12月まで見事に戦い、降伏する物語である。主演は山内豊、井上真央である。この作品の著者ドン・ジョーンズは米国軍人で戦後日本に駐在し、戦後の日本人が「父や祖父たちが国を守るために戦った精神に、尊敬の念を払っていない」ことに対し次のように述べている。
『私はこのようなことを残念に思います。日本の兵隊はよく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私はそのことを、こういう兵隊たちと3年戦いましたから、よく知っています。(中略)私はここで1人の日本の兵士のことを書きました。大場大尉はどんな国でも誇りに思うに違いない人です。しかし、そういう大勢の人たちの一人に過ぎません 』
大場大尉は軍首脳の玉砕命令に従わず、米軍を翻弄するゲリラ戦を展開、15カ月も戦い抜き、1945年12月1日、日本の最高司令官の投降勧告で決断、2列縦隊で軍歌を唄い、新しい軍服を着て(収容所の民間人が制作した差し入れという)降伏式に臨むシーンは涙を誘う。最後まで残った兵士は47人、忠臣蔵と同じだ。最高責任者3人が戦う目前に自決し、衛生隊長にすぎない大場大尉は玉砕を拒否し、フォックスと呼ばれ数千ドルの懸賞金をかけられ、捉える罠も巧みに逃れ、最後は多くの兵士を説得し降伏している。「降伏するのは死ぬより勇気が必要だった」と言われる戦陣訓教育の下、自決した大将より偉く感じる。
この作品を映画化した監督も偉い。 私も松江春次の紹介を兼ね、サイパンの歴史を紹介したいと思ったのです。 |
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大場大尉が1945年12月1日 カーギス中佐に刀を贈呈し、降伏するシーン大場大尉 左から2人目案内板に最後の司令部跡と書かれている
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