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〔偉人〕

山下清(やました きよし)

 
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プロフィールバー 〔山下清〕のプロフィール
俗称・筆名 山下清
本名 大橋清
生誕 1922年 3月 10日(大正11年)
死没 1971年 7月 12日(昭和46年)
出身地 東京都台東区浅草区日本堤
最終学齢 八幡学園(市川市)
職業 画家、ちぎり紙細工
ジャンル 芸術家
活動 日本全国を放浪し、絵,貼り絵、マジック絵等を残し日本のゴッホと言われた。
代表作 『長岡花火の貼り絵』
『エッフェル塔』
記念館
言葉・信条

人生履歴 〔山下清〕の人生(履歴・活動)

 東京都浅草に大橋清治・ふじの長男として大正11年に生まれる。翌年関東大震災により焼け出され、両親の故郷新潟市に転居する。

 3歳の頃重い消化不良の病気にあい、軽い言語障害と知的障害の後遺症を患う。

絵を描く山下清
出典:夢美術館パンフ
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まみむめも
やゆよ
らりるれろ
わをん  
山下清の写真
(出典:山下清~公式サイト~)

人生履歴 〔山下清〕の人生(履歴・活動)(続き)

 6歳のころ浅草に戻り、浅草石浜小学校に入学、この頃≪字を書くより、絵を描くほうが好きだ≫と書いている。

 昭和7年父清治が死去、いじめに会い、刃物をふりまわし同級生にケガをさせる事件もあり、市川市の八幡学園に預けられ、この学園で《ちぎり紙細工》に出会い没頭し才能を開花してゆく。昭和13年東京銀座の画廊で個展を開催、山下清の作品は多くの賞賛を浴びた。

山下清自画像
出典:裸の大将放浪記第四巻

夢美術館入り口の作品 
夢美術館入り口の作品
 昭和15年に八幡学園を脱走し全国を放浪する。

 これは兵役をのがれるためであったと日記に書いている。18年(21歳)母の家に姿を現した際説得され、徴兵検査を受けたが、結果は兵役免除となった。

清の花火見物<BR>出典:夢美術館絵葉書 
清の花火見物(出典:夢美術館絵葉書)

 昭和30年頃になると、放浪時の作品が評価され《日本のゴッホ》《裸の大将》と呼ばれ、昭和31年(1956年)には東京大丸デパートの「山下清展」をはじめ、全国を巡回し130回も開催された、また昭和33年には《裸の大将》というタイトルで東宝により映画化された。舞台でも芦屋雁之助が山下清を演じ好評を博した。

 晩年は東京都練馬区谷原に住み、「東海道五十三次」の制作に取り組むも、1971年(昭和46年)7月12日脳出血のために49歳で死去した。


ゆかりの地 〔山下清〕ゆかりの地など

〔湯布院温泉に山下清の美術館〕

九州・湯布院は今人気の温泉地、この地の観光バス駐車場を降り立つと、山下清原画展という看板が目に付く、木造2階建ての階上に《湯布院夢美術館・山下清原画展》がある。入場料600円を払い中に入ると結構広い、受付でなぜ湯布院に山下清があるのか聞いてみた。

山下清の原画をもっている人の作品を集め展示していると言う。館内には山下清の作品が数百点展示されている。湯布院にくる観光客で山下清の絵に興味ある人が立ち寄るケースが多いようだ。この館の1階は昭和記念館で美空ひばりの懐かしい歌がきこえてくる。



山下清原画展 入場券 
山下清原画展 入場券



湯布院夢美術館は2階 
湯布院夢美術館は2階

湯布院温泉の湯の坪横丁 
湯布院温泉の湯の坪横丁


 〔おもしろい発想の作品が多い〕

 山下清は花火が大好きで、長岡や諏訪の花火も見ており、急逝する前夜の言葉が「今年はどこの花火を見に行こうかな」でした。

 この美術館にも多くの花火の作品が展示されている。山下清は思いもよらない素材に絵を描いている。たとえば《団扇に魚》 《赤い盆の真ん中に蝸牛》《位牌に花》《レコードにどんぐり》などがあり、その着想の奇抜さに驚かされる。

湯布院夢美術館入り口 
湯布院夢美術館入り口


〔手の込んだ緻密な作品も多い〕

 原画展の作品や、裸の大将放浪記の冒頭作品を見ると、非常に細かい貼り絵作品が多い。両国の花火絵では観衆の1人1人まで描き、風景画は木々の息吹を伝える。

 山下清は旅の途中では絵をかかず、記憶にとどめ、学園・家に帰ってから描いたと言われている、この緻密な情景をその場でなく、後で描く記憶力は特殊な能力であり、すごい。山下清と40年つきあい、《裸の大将・放浪記》を編纂した式場俊三氏は《愚直な美しさというものが、彼の遺作の中で歴史になりつつある》と巻末に記している。

お盆にかたつむりの作品 絵葉書より 
お盆にかたつむりの作品 絵葉書より

〔《裸の大将放浪記》を読む〕

 山下清というと “放浪の画家・裸の大将”で有名だ。昭和54年8月に「裸の大将放浪記4巻」がノーベル書房で発刊されている。図書館でこの4巻を借りてみた、山下清の日記風手記で1巻500ページの大作だ。このタイトルを見るだけでも面白い。例えば

 ・おばあさんはずろーすはいているか
 
 ・旅行するのはくせだからなおらない
 
 ・冬のるんぺんは寒くて困ってしまうので九州に行こう
 
 ・敵のたまにあたって死ぬのが一番おっかないな
 
 ・頭が悪いけれど一生懸命働きます
 
 ・神の国なのにどうして負けたんだろう
 
 ・女は心がやさしいというのはうそだ
 
 ・土の中から自然と湯が沸いてくる


裸の大将放浪記 全四巻 
裸の大将放浪記 全四巻


 私の故郷に近い伊香保温泉の話し
『土の中から自然と湯が沸いてくる』を、山下清日記から紹介してみよう。

 《伊香保温泉のろてん風呂のいすへ腰かけて居ると、大ぜいの人が温泉へ入りにくる よその人と話をする「温泉と風呂屋の湯とはどこが違うんですか」といったら、よその人が「風呂屋の湯は人が湯をわかす 温泉の湯は土の中からしぜんと湯がわいてくるんだ」》

 というような質問を気軽に土地の人に話しかけてゆく、 実に素朴な質問でその土地柄、人情もわかり面白い。
会場で販売の絵葉書集 
会場で販売の絵葉書集

 ついでに、山下清が放浪の旅にでるきっかけとなった、『敵のたまにあたって死ぬのが一番おっかないな』の日記を紹介しよう。

 《僕は今年20歳で来年は21歳になるので、もうじき正月で21歳になると兵隊けんさが有るので もしこうしゅ(甲種)ごうかくだったら兵隊にいってさんざんなぐられて 戦地へ行ってこわい思いをしたり、敵のたまにあたって死ぬのが一番おっかないと思っていました》 (裸の大将放浪記第一巻)

 戦争へ取られることを怖れその後、放浪の旅に出ている。

 冬は暖かい九州、夏は涼しい東北、信州を歩く、戦中、戦後の物資不足の折、お店や農家で働き、移動のときは判りやすい鉄道の線路を歩き、駅で寝ることも多い。  長い期間同じ場所で働くと言うより、仕事を探しながら、食事を乞い、全国各地を気ままに歩いている。

 放浪について山下は日記にこう書いている

 《ぼくは放浪している時 絵を描くために歩き回っているのではなく きれいな景色やめずらしい物を見るのが好きで歩いている 貼絵は帰ってからゆっくり思い出して描くことができた》


〔映画や舞台、テレビに《裸の大将・山下清》が人気をよぶ〕

 《 昭和31年 もう放浪はしません》という清の誓約書もあり、その後は、昭和33年小林桂樹の主演の映画「裸の大将」、テレビでは昭和55年から芦屋雁之助主演で「放浪の天才画家・山下清」が放映された。藤本義一原作で山下清と雁之助の風貌がよく似ていることから書き上げ、まず舞台で、その後テレビドラマ化し大ヒットとなった。

 その後も沢山のテレビドラマ、映画、舞台、本の出版等で山下清は取り上げられ、話題をよび、山下清は日本国民に愛された。


〔晩年、欧州旅行をして優れた作品を残す〕

 昭和29年には放浪をやめたが、日本各地への旅は自由気ままにでかけている、山下清の名前は相当知れわたってきたので、食事や宿を提供し絵を求める人もでてきた、山下清はこれ等の要求に気軽にこたえ、すきな所へ出かけている。

 昭和36年には40日間にわたりヨーロッパ十数カ国を廻る旅をした。エッフェル塔、パリのムーランルージュ、ロンドンのタワーブリッジなど50点以上の素晴しい名所絵を残している。帰国後は《ヨーロッパ作品展》の巡回が全国的に実施された。



映画・裸の大将のポスター 
映画・裸の大将のポスター



欧州旅行で描いたエッフェル塔<BR>(出典:裸の大将放浪記第四巻) 
欧州旅行で描いたエッフェル塔
出典:裸の大将放浪記第四巻


〔昭和46年49歳で他界〕

 7月10日の夕食のあと『今年の花火見物はどこに行こうかな』という言葉を最後に 清は突然の脳出血で倒れ、意識が戻らないまま2日後7/12日、永遠の旅に、また1人で出かけてしまいました。

 山下清の死をきっかけに,第二の山下清ブームが巻き起こり、遺作展が全国50箇所3ヵ年にわたり開催された。山下清の個展の総入場者数は7~800万人に及んだと言う。


〔長野県茅野市に山下清の《放浪美術館》がある〕

 山下清は花火が大好きで、諏訪湖の花火にもでかけ、作品も残している縁でこの放浪美術館が平成2年に諏訪地方の茅野市に開館された。

 折をみて訪ねたいと思っている。


茅野市にある放浪美術館 出典:放浪美術館HP 
茅野市にある放浪美術館 出典:放浪美術館HP

青木青眠 記
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