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難波田弾正善銀

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プロフィールバー ◆〔難波田弾正善銀〕のプロフィール。
俗称・筆名 難波田弾正善銀(法名)
本名 難波田憲重(なんばだのりしげ)
生誕 1497年?
死没 1546年(天文15年)4月2日
出身地 武蔵の国(現富士見市) 
最終学歴
職業 武士
ジャンル 難波田城 城主
活動  扇谷上杉氏の重臣として上杉朝定に仕えた。
代表作  松山城風流合戦の和歌問答(右記)

 武蔵七党の一つ、扇谷上杉氏の重臣として上杉朝定を支え、後北条氏と戦った。有名な河越夜戦(1546年)で奮戦、戦死した。

 戦場で敵将と和歌のやり取りをした逸話でも知られた文武両道の武将。

 ●松山城風流合戦の和歌問答

  〔山中主膳〕
   あしからじ よかれとこそ戦はめ
    なにか難波田(なばた)の浦崩れ行く

  〔難波田弾正〕
   君おきてあだし心を我もたば
    末の松山 波もこえなん

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難波田弾正善銀の写真
(出典:武蔵 難波田氏館)
〔難波田弾正善銀の肖像はありません〕
 
記念館タイトル表示 難波田城公園の訪問記録など紹介。
難波田城01  〔まえがき〕
 大宮市を流れる荒川の河岸にある錦が原ゴルフ場には40年以上前から年数回でかけるところ。6月初旬の梅雨入りまえ、1人でぶらりと出かける。

 大宮バイパスから“うらとこ線”で荒川を渡り河越方面に向かうと、道路標識に“難波田公園”と大きく案内が出ている。このエリアは富士見市である。アッ、そうか木津川市の岡本崇さんが言う“難波田城”はここにあるのかと納得し、“よし帰りに寄ろう”と決心する。

 一緒に廻る今日の仲間上坪さんは初対面だが、この土地の人というので、早速、難波田城のことを話題にした。「あの公園は”なにわた“でなく”なんばた“というんだよ、昨日子供を集めてイベント”火縄銃演舞“をやっていたよ」と聞き出す。

 この上坪さん75歳で250ヤードは飛ばす。秘密をたずねると“自分は小さいので特製のクラブを注文、シャフトは長く作り変え140万は投資し、技術も磨いた”という。やはり人知れず努力をしているのだと納得する、ちなみにこの日は80で廻っている。


 〔難波田公園の概要〕
 難波田うら公園は想像より広く、1.7万平方メートル(5000坪)位あるだろう。城跡ゾーンと古民家ゾーンより成り立ち、城跡には堀が廻らされ、葦がしげる掘りを鴨が泳ぎ、睡蓮がさいている、のどかな気分になる。

 追手門、曲輪は新しく、平成12年6月のオープンだから1年前に公開されたばかりだが、市は相当な投資をしていることが解る。

難波田城02

 古民家ゾーンは昔の長屋門つきの大きな庄屋屋敷を移築し、内部を公開、茅葺のおおきな家は市指定文化財、春伊豆韮山の江川太郎左衛門の代官屋敷をみたが、家のなかの森閑とした趣は似ている、“この2階で昼寝をしたら気持ちいいだろうな”と阿部さんというここで知り合った歴史家と話す。

 阿部さんは関東地方にしぼって、古い城廻りをしている。難波田城のような小さな城は首都圏で500はあるという。

 かなり詳しいようなので岡本さんの話を持ち出す。“先輩で千葉氏の末裔という人がおられるのですが“と話し込む、千葉氏の末城は多く、この河越,富士見周辺も千葉氏の勢力範囲だったこともあるようです。千葉だけでも200の城があったというから、廻るだけでも大変。

 興味があるならと千葉氏の古城資料を送って貰うことにした。まず自分の住む近くの葛西城や鎌ヶ谷城など巡ってみて、市川から館山までの房総の道をあるいてみよう等と夢を膨らませてみる。夢は自由だから----。

難波田城公園

難波田城公園  〔難波田城資料館〕
 古民家の一つに難波田城資料館がある。平屋建てで建築面積687平方mと広く、難波田城の歴史が鎌倉時代から始まり、南北朝、戦国、江戸、明治、昭和 と詳細に解説されている。

 8分ものの映像「難波田城の歴史」があるのでスイッチONにしてみたが、動かない。そこで担当の女性、館長と思しき人を巻き込み見られるようにしてもらった。きり絵の“弾正の戦場シーン”は迫力ある。難波田氏は平安時代に成立した武士団“武蔵七党の一つ村山党に属する金子氏の一族”で鎌倉時代からこの地に館をかまえ、地名を名乗ったという。

 映像を見ながらいろいろ解説してくれる、数十年前に難波田一族の末裔が集まったことありませんかと質問すると「話は聞いてます。私より前の担当者でその頃の人はもういません」いう。難波田春夫というと”ああ画家ですか“という、”いえ経済学者です“と言うと知ってますという。


 資料館を見ると現在の富士見市は幾つかの村が合併して今のようになったことが解る。その一つに南畑村という村があったので、読み方が”なんばた“で同じですねと尋ねる。昔の村の名前ですよという、この付近荒川の河岸で水の被害をこうむること多く、”波難(なんば)は水の難と書くから、これが問題なのではと、村民が願い出て難波田村を南畑村に変えて貰った“経過がある。 と説明してくれた。

 字はちがうが読み方はおなじ”なんばた“と読めるから、納得する。 資料館には難波田城の立派なパンフレットを販売しているし、無料の小さなパンフも揃っている。編集委員のかた用にと思い購入した。来る予定もない突然の訪問なのでカメラももってない、パンフがあるので十分の資料を入手した。

 〔難波田公園は市民の憩いの場〕
 結局閉館になる5時のチャイムまで滞在した。朝は地元の農産物を売る“なんばた朝市”が開催され、火曜日の昼にはそばかうどんが食べられる催事がある旨の案内がはってある。うどんはつるつる(鶴鶴)かめかめ(亀亀)とある言葉に共感する。鶴は千年、亀は万年 の言葉にかけている。 昔の結婚式の映像が流れている。自宅での結婚式で嫁とりの儀式がつぶさに紹介されている。何十年も前の映像だろうがよく纏まっている。この土地の料理で“おちつき餅”というのを振舞われるという。嫁入り先に落着くようにという料理も珍しい。

 この資料館にはみやげ物も色々売っている、絵葉書、各種資料本、一筆箋など。またイベントも多い。この日は女学生の制服の歴史展をやっていたし、藍染、ジャガイモ掘り、竹かご教室、浴衣きつけ教室等々。

 〔難波田弾正の歌合戦〕
 城跡に入ってすぐのところに標記の解説案内板がある、衣川の阿部貞任の歌合戦は有名だが、難波田先生の先祖も戦場で敵将から拾遺和歌集等の有名な歌で呼びかけられ、これに和歌で応えたというシーンの解説である。昔の武人は武だけでなく歌にも精通していた教養の持ち主であったということか。いつか難波田会の方を案内したいものと思い館長さんにも、大勢お客さん連れてきますよ と約束し、難波田城を後にした。

                          Y.aoki 記



☆難波田城資料館

   所在地:〒354-0004 埼玉県富士見市大字下南畑568-1

   電話:049-253-4664
   ファックス:049-253-4665

   ホームページ:〔難波田城公園(資料館)からのお知らせ〕


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